部屋に一人。同室の少女は夕食当番なのでしばらくは戻ってこない。
里奈は携帯を取り出す。メモリを確認する。教えてもらった聡の番号。携帯会社は同じなので、番号でメールも送れるはずだ。聡の母親はメアドも教えてくれると言ったが、さすがに断った。
携帯を握り締め、顔をあげる。窓から見上げる空はもう暗い。
これで、いつでも金本くんと連絡が取れる。
下手にメールを打っても返事など返してはくれないだろう。それくらいはわかる。送信者名を隠して送れば、間違いメールとして無視されるだけだろうし、里奈からのメールだと知れば、余計無視され、破棄されるだけにきまっている。
美鶴からのメールだったら、即レスなんだろうな。
携帯を握る手に力が篭る。
でも私、負けないよ。絶対に美鶴になんて負けないんだから。
片手を窓枠に乗せる。乗り出すと、風が涼しい。
でも、これからどうすればいいんだろう。
里奈は、聡の進路が知りたかった。でなければ、自分の進路も決まらないから。
いつまでもこの施設でお世話になるワケにはいかない。施設を出た後どのように生活していくのか、大雑把でも決めなくてはいけない。
金本くんと同じ学校に行きたいな。きっと大学に進むんだろうから、私も同じ学校に。
だから里奈は、聡の進路が知りたかった。
口の上手い人間だったら、母親から上手く聞き出したりするのだろうが、里奈にはそこまでの技術は無い。
でも、きっと大学に行く事は間違いないんだろうし、だったら私も、高卒の資格を取って大学に行きたい。
グッと唇に力を入れる。その時、背後の扉が開いた。
「メシだぞぉ」
「はぁい」
素直に応じ、里奈は携帯を傍の机の上へと置いた。
「美鶴ちゃんに会ったわ」
智論の言葉にも、慎二は瞳を微かに動かすだけ。いや、口元が、少し緩んだかもしれない。
「お前にしては行動が早いな」
「せっかくのご忠告を無駄にしては失礼だものね」
「これはこれは」
慎二はブランデーを口に含む。
昼間は少し汗ばむような日もあるが、陽が落ちれば上着の一枚くらいは羽織りたくもなる。まったく別の顔を見せる昼と夜。春は過ぎ、だが夏にはまだ遠く、梅雨という季節には少し手が届かない。中途半端で、でも人々は、とても過ごしやすい季節だと喜ぶ。
本当は、何ものにも属さない存在こそが一番美しく、一番穏やかなのかもしれない。
目の前の、少し怠惰にゆったりと革張りのソファーに身を委ねる青年を見ていると、智論はまるで天も地も無いフワフワとした穏やかな世界の入り口に立っているかのような気分になる。穏やかだが、一歩踏み出せば容易には引き返す事のできないその世界。妖の魅せる幻に惑わされた不確かな存在。吹けば消えてしまうかのような砂絵。
「そう言ってもらえると、忠告した甲斐もある」
「彼女、諦めるつもりはないわ」
慎二は虚ろを見つめたまま。
「私も、諦めさせるのは、やめる事にする」
「俺には関係ない。ただ、また一人、女が泣くだけだ」
「美鶴ちゃんは、自分は泣かないと言っていたわ」
「相変わらずの世間知らずだな」
「そうかしら」
慎二の部屋。扉を背に腕を胸の前で組む智論の姿に、慎二はクククッと喉を引き攣らせる。
「何が言いたい?」
「彼女は、今までの女性とは違う」
「同じだよ」
「そう言うわりには、ずいぶんと気に掛けているようね」
「そんな事は無いさ」
「でも、こんなふうにわざわざ忠告をしてくるなんて、初めてじゃない?」
夜風が、窓ガラスを撫でる。
「唐渓に大迫美鶴の噂が広まっている。広めたのは自分だ。どうにかしてやらないと、また一人、女が泣く事になるぞ。そんな事をわざわざ私に知らせてくれたのって、初めてよね」
「俺なりの優しさだ」
グラスを回す。氷が揺れる。
「一応高校生だからな。下手に騒ぎが大きくなってこちらに火の粉が飛んできてもらっては困る」
「だったら、どうして彼女が慎二に恋をしているだなんて噂を流したの?」
「そろそろ、打ちのめしてやろうと思ってね。唐渓の中で、彼女と他の生徒との関係は険悪だ。噂を流せば唐渓の生徒が群がるのは目に見えている。実際に、そうなっているようだしね」
「彼女、懲りてはいないみたいよ」
「これだからガキは嫌いだ」
「そのわりには、楽しんでいるようにも見えるけれど」
「あぁ、愉しいよ。あの女が唐渓でオロオロと慌てふためく姿を想像するのは実に愉しい」
「美鶴ちゃんの姿だったら、どんな姿でも楽しくなるんじゃない?」
「どんな?」
「例えば、笑いながら自分を慕ってくれる姿とか」
「霞流さん、カッコ良かったですよ」
「智論、お前はバカか?」
「あなたよりは利口だと思うわ。少なくとも、あなたよりかは世間を知ってる」
初めて、慎二の頬から笑みが消えた。
「楽しんでいる? 俺が?」
その声には少し苛立ちも込められているかのよう。チラリと向けられた瞳は鋭く、空を切り裂くカマイタチのよう。
「冗談だろう?」
「本気よ。こんなところで冗談なんて言わない」
智論は、重心を右足へ移す。
「彼女は、今までの女性とは違う。私はそう思う。思うし、きっとあなたもそう感じている」
「ただの世間知らずだ」
「繁華街へ行く回数が減ったみたいね」
部屋を見渡す。
「こうやって、出掛けずに部屋で寛ぐ時間が増えた」
「誰に聞いた?」
「木崎さん」
チッと舌打ち。
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